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書室は、「手書き」に関するホームページ。研究から随想、寄稿まで…

チケットファイル

万年筆が持っていた意味/万年筆の生活誌ー筆記の近代ー   国立歴史民俗博物館


https://www.rekihaku.ac.jp/outline/press/p160308/index.html

2016年5月20日・金曜日
                
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 この展示会の最終日に、滑り込みことができました。
 無理をして、佐倉までやって来てよかったと感じました。

 長崎大学の学生は、万年筆を使って文字を書いたことがない者がほとんどです。使わなくても、プレゼントされることもあるだろうから、自分用の万年筆を持っているかと思えば、自分用の万年筆を持っている学生は一人もいませんでした(自分用のPCは、全員が持っています)。
 高校の入学祝や大学の入学祝が万年筆ではなくなって、久しいようです。

 授業で使うので、学生に、「メーカー名は問わないから、家庭で死蔵している万年筆を持ってきてください。買わなくてもよいです。」と言ったところ、次のような反応がありました。
 「家で、親が万年筆を使っているところを見たことがありません。おろらく、買わないとありません。」と。今や、一般的な日本人にとって、万年筆は、こういう存在となっているのです。

 この展示会のチラシでは、万年筆の存在を、次のように位置づけています。
 万年筆、と聞いてなつかしく思う人は多いのではないでしょうか。万年筆は、かつては誰でも一本は持っている普遍的な筆記具でした。文字を記す時に万年筆を用いるようになったのは日本では明治以降ですが、わたしたちの生活のなかに浸透してさまざまな場面で筆記を支えてきました。
 万年筆、と聞いて新しさを感じる人も少なくないと思います。筆記するときの独特の感触、美しい軸の装飾、さまざまなインクの発色などは、ワープロソフトで文章を綴る間接的な感覚や、ボールペンによる均質な感触とは違った「書く喜び」を与えてくれます。
 この企画展示ではそうした万年筆の日本における歩みと生活のなかで果たしてきた役割に光を当て、小さな筆記具が持っていた大きな意味を考えてみたいと思います。

                          企画展示「万年筆の生活誌−筆記の近代−」チラシ 冒頭

 「書く喜び」
 私は、この「書く喜び」のために、高校入学の時に贈られた万年筆を手放すことができません。高校入学以前にも、何本か万年筆を贈られました。また、大学生以降は、自分でも何本かを購入もしました。しかし、どの一本も、高校の入学祝に贈られた一本以上には「書く喜び」をもたらしてくれることがありません。

 それは、なぜか。
 このことを、社会と書く主体との関係で掘り下げることができるのだと気づかされました。手書きを追究する上で、避けられない大事な視点を突きつけられたのです。
[前略]新しい筆記具としての万年筆は、この個人の生成のプロセスにどう関わることになったのか。それもまだ明確に測量されていない。[中略]しかしながら、ここで暗示されている書く主体の個性と結びついた万年筆という論点は、「手」あるいは筆蹟や能力の固有性とともに、私有の感覚、公の感覚、財の感覚、排他性の感覚、誇示の感覚など、存外におもしろい奥行きをもっているように思うのである。(佐藤)

                     図録『万年筆の生活誌−筆記の近代−』[本文は、縦組み。]p162
                                   国立歴史民俗博物館 2016年3月


引用魔 −画賛を読んでくれ/生誕180年記念 富岡鉄斎−近代への架け橋−展 兵庫県立美術館

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http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1603/

2016年3月24日・木曜日
                
 「富士山図」の前に立ったとき、ああ、セザンヌだ、と感じました。

 フランスの画家ポール・セザンヌと、日本の富岡鉄斎。この二人の絵の同質性は、よく指摘されているのだそうです。恥ずかしいことに、私は、展覧会出口で買った図録を読むまで、知りませんでした。

 一方、二人の絵の違いは、絵へ書き込みです。
 セザンヌの絵にも、書き込みはあります。サインや日付けなどが、隅っこに小さく書き込まれています。他の多くの画家もそうします。
 しかし、鉄斎の書き込みは、堂々清々としています。一枚の絵の中にあって絵と文字とが融合していることはもちろんですが、文字の書き込みだけを切り離したとしても、絵と同等か、あるいはそれ以上の質量があります。

 ちなみに、絵への文字の書き込みは、画賛とか画讃とか賛とかと呼ばれ、東洋に特有なものだそうです。書き込みの内容は、絵に関わる詩歌などです。

 鉄斎は、生前、口癖のように、「自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」と言っていたとか。
 鉄斎は、幼い頃から無類の読書好きで、89年に及ぶ生涯を文字通り「万巻の書」に囲まれて、質素に無欲に生きたのだそうです。絵を描く前には、必ず書庫に入って、何か本を持ち出して読み耽る。常に文献の抜き書きを作っている。
 だから、「まず賛文を読んでくれ」なのでしょう。ひたすら謙虚です。

[前略]読書によって画嚢を肥やし、そこから様々な画題を得て、賛を引いた。他に類をみない鉄斎画の画題の豊富さと多様さは、まさに万巻の書によってもたらされたのである。
            [中略]
 人物画や山水画の画題に鉄斎はすべて典拠として賛文を添えた。常に典拠の大切さを説き、根拠のない画は描かないという信念が鉄斎の創作を支えていた。ここに、画家ではなく文人、学者としての姿勢を貫こうとした鉄斎の意志を読み取ることができるだろう。

    『生誕180年記念 富岡鉄斎−近代への架け橋−展』図録[本文は、縦組。]p69
                                  富岡鉄斎展実行委員会 2016年3月

 また、小林秀雄は、次のように言っています。

 鉄斎は、画家と呼ばれるのを嫌い、自分は儒者であって、絵は余技である、と常に言っていたそうだが、彼の最期の夢の具体化を眺めていると、そんな言葉も寝言に思え、彼の得意な画讃も、もう大した用はなしていない様に見える。そういう私たちの見方が間違っているとは考えない。
            [中略]
鉄斎の博学多識は、単に博学多識に止まらず、単なる彼の高邁な精神を養う養分だったであろうが、彼は、その高邁な精神を学問的にも文学的にも表現しなかった。表現する術を知らなかった。彼は造形によらなければ己が語れなかった人である。言葉の方は、みんな借り物ですませた。彼の思想は、言葉とはならず、気韻となり、書と絵との象となって生動するより他はなかったのである。

     小林秀雄著「鉄斎」[本文は、縦組。引用者が、旧表記を新表記に改めた。]
                            『鉄斎』(筑摩書房) 本文p9〜11 1957年2月

 ともかく、筆写と筆写による引用が、鉄斎を鉄斎たらしめたのだということを、目の当たりにした灘の散策でした。


3月10日 東京大空襲/生誕100年記念井上有一展 金沢21世紀美術館

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2016年3月10日・木曜日
                
 時間ができて、こみ上げてきたのは、もう一度観たいなあという気持ちです。
 松が取れないうちに出かけた「生誕100年記念井上有一展」。
 鑑賞直後は、ぶん殴られたような気持ちでした。これ以外の言葉ではうまく表現できなくて、2ヶ月以上も放り投げていましたが、今日ふと「もう一度観たいなあ」という気持ちとともに、原稿用紙に向かいました。

 今日は、3月10日。奇しくも、有一が、71年前の東京大空襲で死んでしまった日です。そして、生き返った日でもあります。

 この体験をもとにして、有一は、23年後に、「東京大空襲」と「噫横川国民学校」という作品群を創ったそうです。 秋元雅史氏(金沢21世紀美術館館長)は、その作品群を、ピカソの「ゲルニカ」と比較しうる戦争芸術だと称しています。 戦争を体験として語ることができる人は、日々、少なくっています。体験していても、決して、語ろうとしない人もいます。
 しかし、ピカソも有一も、二人はなくなっていますが、「ゲルニカ」も「東京大空襲」も、 ピカソが捉えた戦争を、有一が捉えた戦争を、観る人をぶん殴るように、語っています。

 軽薄な言葉では歯が立たない、ピカソと有一。これからも、私は、引きつけられ続けることを確信した今日でした。


薬降る / 作家50人の直筆原稿 ー雑誌「風景」よりー 新宿歴史博物館

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2015年7月1日・水曜日
                
 しとしと降るとはこういうことを言うのだろうというような、雨の日。
 新宿歴史博物館で、「作家50人の直筆原稿 −雑誌『風景』より−」という企画展を観ました。
 雑誌『風景』は、昭和35年10月号から昭和51年4月号まで発刊されていたそうです。
 私が生まれる少し前から中学生までの時期と重なります。
 しかし、『風景』を見るのは、初めてです。もし、発刊されていた当時に私が目にしていたら、表紙の瀟洒な雰囲気に引き込まれ、一枚の名画のように眺めていたでしょう。『風景』は書店に来店する客に無料で配布されていたそうですから、眺めるだけのためなのに、精一杯背伸びして、何としても入手しようと策を講じていたことでしょう。

 この一日は、『風景』に収載された文章の直筆原稿を観察することに費やしました。
 疲れると、中庭(サンクンガーデン)に出て雨に触れたり下草を踏んだりしては、直筆を味わいました。

 原稿用紙にある署名は、どれもが、私の足を止める力を持っていました。本文の筆跡とは、少し感じの違うものがほとんどです。ガラスケースの中にあって、歌舞伎の見得のように光を集めていました。
 特に、三島由紀夫の、「変質した優雅」(昭和38年7月)の署名には、特別な才能だけ放つ華が感じられました。

 『風景』の編集者は、毎号、活字にする前の才能の感触を吸収することができたのです。
 新宿文化を創出したのが『風景』なら、『風景』を作った編集者を夢中にさせたのは、直筆から発せられる「華」なのかもしれません。

 旧暦の端午(新暦6月20日)に降る雨を、豊穣をもたらす「薬降る」と称するそうです。 直筆原稿に触れたこの一日は、私にとって、まさに、薬となりました。

 新宿歴史博物館 http://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/


コンテ 木炭 宮澤賢治 / 遠くて近い井上有一展 菊池寛記念 智美術館

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2015年4月4日・土曜日
                
 井上有一生誕100年を記念して、非日常の空間で知られる智美術館で展覧会が開かれています。
 20年以上前、私が長崎大学に着任する前、「貧」ばかりを題材にした井上有一展を観たことがあります。その時の印象を、今でも鮮明に記憶しています。今から振り返れば、井上有一の書く「貧」は、未熟だが柔らかい感覚には、衝撃が強すぎたのでしょう。

 今回の展覧会でも20年以上前に観たであろう「貧」も数点展示されていましたが、心に衝撃が走ったのは、宮沢賢治作品を題材にしたものです。
 それは、コンテで、書かれています。つまり、コンテパステルです。 顔料で固めたパステルを使って、「やまなし」や「よだかの星」や「虔十公園林」を書いた作品の前では、動悸が早くなりました。
 おそらく、有一は、宮沢賢治の書いた言葉を暗誦しながら、コンテをたたき付けるようにして制作したのだろうと想像できました。棟方志功という版画家が、経を唱えながら板をなめるかのようにして、顔を近づけて彫っていたように。

 「貧」に代表される一字書は、大きくて重い筆にたっぷり墨を含ませて制作します。それが醸し出す迫力は、生々しい肉の匂いがします。
 それが、有一最晩年には、鉛筆、コンテパステル、木炭が、直截に手指の感覚に訴える用具が加わります。それに伴って、題材は、多字数へと変わっていくのです。
 言葉を間違えれば、線引きをして、改めて書き正す。言葉を落としていたら、挿入の印を付けて、書き足す。まるで、自分の〈言葉〉を書いているかのように。毛筆書では、あり得ません。

  筆法とか書法とかややこしいことは犬に食われてしまえ。鉛筆でギュウギュウ書きつけろ。鉛筆のシンをヘシ折って指先につまんでギュウギュウ書くと、指先が凹んで痛くなった。もっと真っ黒のほうがいい。コンテの柔らかいので、和紙に釘を立てて截つように書くと、バシッとコンテの先がくずれて粉がとぶ。紙が汚れる。机の上に広げた紙のあちこちに手当たり次第に書く。ウラへも書く。下に敷いた紙が薄汚れる。その上にも書く。紙がまがっていようが折れていようがお構いなしだ。ケチな字になったら塗抹れば(ママ)いい。塗抹するのも書くことだ。
                            図録『遠くて近い井上有一展』(2015.4) から引用


鉛筆の可能性[木下晋氏講演]−6Bでは物足りない。心の闇は、10Bでしか描けなかった。−

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2015年3月27日・金曜日
                
 「書育ファーラム2014」に木下晋氏をお招きして、「鉛筆の可能性」という演題で、お話をうかがいました。

 私は、12月に、熊本市現代美術館で、木下氏の制作を鑑賞しています。その時の印象は、人間が目を背けたくなるものをなぜここまで細密に描くのだろうというものでした(「チケットファイル」2月19日の記事参照)。
 今回、お話をうかがって、この疑問が少し解けました。

 木下氏が描くのは、魂をつかまれるような出会いをした時です。
 たとえば、小林ハルという女性。彼女が歌う瞽女唄。そこに底流する壮絶な「孤独」を表現するためだそうです。
 たとえば、実の母親。自分を置き去りにし、何度も家出した「心の闇」を表現するためだそうです。

 木下氏は、1980年頃から欧米の美術館を隈無く観て回り、自分にしか創れないアートとは何か模索したとか。その中で、英国製の鉛筆を使って描くことで、自分しかできないオリジナルの手がかりを感じたのだそうです。
 一般的に、鉛筆画はデッサンであり、本画より格下だと捉えられています。
 しかし、木下自身が追究している人間の「孤独」や「心の闇」を表現するには、鉛筆が最適なのだそうです。そのために、一種類1本の鉛筆だけで濃淡を描き分けるのではなく、階調ごとに鉛筆を変えるのだそうです。つまり、10Hから10Bまでの22硬度(三菱鉛筆製「ハイユニ アート」)を使い分けるところに行き着いたと。

 木下氏が描きたい人は、話を聞きたい人です。つまり、〈時間〉をかけて、理解したい人なのです。

 手軽な筆記具の代表である鉛筆が、このような深淵なイメージの世界を支えているとは。
 冬に抱いた疑問が氷解した5分咲きの浅草橋でした。


龍安寺 石庭 御朱印帖

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2015年3月23日・月曜日
                
 先週末の菜の花気分は、すっかり消え失せました。小粒で冷たい雨が、心の隙をねらって降ってくるような龍安寺でした。
 寺務所から方丈への廊下を歩くと、冷気が足裏から忍び込んできました。

 龍安寺は、世界文化遺産「古都京都の文化財」の一部です。方丈前庭の枯山水は、あまりにも有名です。
 この枯山水は、極端なまでに象徴化されています。外国人ばかりか、日本人にも、この意味がわかる者は、少ないでしょう。
 しかし、ここにいる者は、誰もが無口です。それは、この枯山水を感じている証拠なのでしょう。

 この庭に配してある石は、15個。15個を一度に見渡せる場所は、どこにもないとか。

 御朱印帖を揮毫する職員の筆先が、私を現実に引き戻してくれました。




     

菜の花色の推敲

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2015年3月21日・土曜日(春分の日)
                
 2月12日は、司馬遼太郎の命日、「菜の花忌」です。
 司馬遼太郎は、タンポポや菜の花のような黄色の花が大好きだったそうです。
 最寄り駅である八戸ノ里駅のホームは、菜の花の香りが溢れていました。駅から徒歩でおよそ10分、菜の花の香りに導かれようにして、司馬遼太郎記念館にたどり着きました。

 記念館の建築は、安藤忠雄氏です。実は、建築が観たくて、寄り道をしたのでした。

 しかし、展示されている蔵書数(約2万冊)に圧倒されました。電子書籍では、決して作り出すことのできない司馬遼太郎観です。つまりは、これが安藤氏のすごさなのでしょう。

 最も印象に残っている「二十一世紀に生きる君へ」は、司馬が小学校国語科教科書(大阪書籍、6年用)に書き下ろした文章です。司馬は、「長編小説を書くほどのエネルギーが必要だった」と語っていたそうです。
 なるほど、推敲に推敲を重ねた様子がうかがえます。
 他の大人向けの作品の直筆原稿と比べると、推敲に腐心していた様子がいっそうよくわかります。

  司馬は、三菱鉛筆製の「ダーマトグラフ」を愛用していたようです。私も子どものころに使ったことがあるので、書き味をイメージすることができます。
 「ダーマトグラフ」は、芯が減ったときに糸を下に引き、表面の巻き紙を破ることで、巻き紙を剥がせるというものです。削る手間がいらないから、カッターや削り器などを触っていうちに、〈言葉〉が逃げてしまうこともありません。
 また、太い芯の「ダーマトグラフ」は、小ぶりな司馬の文字を塗りつぶして完全に見えなくするのに最適です。

 偶然なのでしょうか。
 推敲の跡が、まるで菜の花畑のようです。緑色と黄色とによる推敲も、司馬のメッセージなのかもしれません。


 司馬遼太郎記念館 http://www.shibazaidan.or.jp/nanohana/


    

レーウェンフックから英国王立協会への報告(手紙)[レプリカ]

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2015年3月3日・火曜日
                
 「フェルメール光の王国2015」を鑑賞してきました。

 37点しかないフェルメールの作品(リクルエイト)を一堂に集め、それを制作順に鑑賞できるということが最大の魅力です。もちろん、本サイトのアイコンである「手紙を書く女」も、制作順という時間の流れの中で、じっくり鑑賞しました。 それとは別に、フェルメールと同年に、同じくデルフトに生まれたレーウェンフックの資料が心に残りました。
 レーウェンフックは、「顕微鏡の父」と呼ばれている人です。

 写真は、レーウェンフックが書いた手紙の綴り。その細密な文字にも、目が釘付けになりましたが、綴りに挟まれている昆虫の素描には、息を呑みました。
 顕微鏡で観察したことをスケッチで表現できることは、科学者の必須の能力です。しかし、レーウェンフックは、自分は絵が下手だ、と記しているのだそうです。だから、この見事なスケッチは、レーウェンフックではなく、だれか別の人物だろうといわれています。

  フェルメール狂いの福岡伸一氏は、その人物は、フェルメールではないかと空想しているそうです。
  素敵なステキな空想です。                 



「鉛筆のチカラ − 木下晋・吉村芳生展」/ 熊本市現代美術館


            http://www.camk.or.jp/event/exhibition/enpitsu/

 2014年12月19日・金曜日


 まず、木下氏の制作についてです。
 10Bから10Hまでの鉛筆で描き出す人間の陰影に、息が止まりました。
 老いた人間のしわやしみ。たるみ、むくみやゆがみ。できれば、見たくないものです。存在することを無視したいものです。
 それを容赦なく描き出す精神力に圧倒されました。

 次に拝見したのは、吉村氏の制作です。
 吉村氏の制作には、色がありました。だから、ほっとしたというのが正直な感想です。
 一方で、写真のように描写されている新聞紙面。その中から浮き上がる自画像には、社会に対する冷静な視線が感じられました。

 会議から会議への移動中の、本当に駆け足の鑑賞でしたが、「手描き」の力の重さを実感した時間でした。

 なお、3月27日(金)には、書育フォーラムで、木下氏の講演を企画しています。
 詳しくは、書育推進協議会HPを御覧ください。







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