息子;「お母さん、来て。『トレッタ』を作ったよ。」
「トレッタ」というのは、ポケットモンスターのゲームに使用するプラスチック製のカードのこと。息子は今、このポケモントレッタを集めている。
「トレッタを作った。」というので、画用紙にポケモンの絵を描いてトレッタもどきを作ったのかと思いながら見ると、そこにはトレッタ(カード)を並べて作った「トレッタ」の文字列。
息子;「読める?」
私 ;「うん、読めるよ。上手に作ったね。」
息子;「そうかなー。『ツ』と『タ』が難しいんだよ。トレッタが足りなくなったんだよ。」
なるほど。作られた文字を読み解くと、「ト」「レ」までは順調。「ッ」は小さい「ツ」だから小さく作ろうとしたらしい。「タ」はそれぞれの画の角度をうまく再現できなかったのかな。思うように文字を作るにはトレッタ(カード)の枚数が足りなかったようだ。後半は苦心の作なのがよくわかる。
私 ;「じゃあ、『ポケモン』って作れる?」
息子;「いや、トレッタが足りないと思うな〜。」
きっと、ポケモンに興味をもった息子にとって、ポケモントレッタで「トレッタ」という文字列を作ることが楽しい遊びなのだと思う。
子どもの生活環境の中には、鉛筆やマーカー、クレヨンなどの筆記用具以外にも文字を再現する道具がたくさんある。今回のトレッタもそうだし、粘土、折り紙、新聞紙、積木、モール、おはじき。外にでれば、砂や石、木の枝や葉。などなど。
文字を「書く」だけではなく、「作る」ことも楽しいのだと、息子に教えてもらった出来事。(林)
この夏、年長さん恒例のイベント「お泊り保育」があった。
幼稚園からのお便りには、「持ち物を準備する時には、お子さんと一緒に行ってください。」とある。さて、準備を始めましょうか。
着替えを1回分ずつ小分けして、袋に入れていく。
私 ;「これがお風呂に入った後のパンツとシャツ。」
「これは、パンツやシャツが足りなくなった時のためのパンツとシャツ。 わかった?」
息子;「もし間違えたらどうしたらいい?」
私 ;「間違えないように、『何を入れたか袋に書いてください。』って先生から言われたよ。」
息子;「じゃあ、僕が書く。」
私 ;「こっちは、『したぎ』って書いて。」
息子;「したぎって何?」
私 ;「洋服の下に着るパンツとシャツのこと。」
息子;「『ぎ』って書けないから、お母さん書いて。」
私 ;「字が書ける紙を見たら、書けるよ。」
息子;「書けないから、書いて。」
私 ;「こっちには、『よびのしたぎ』って書いて。」
息子;「よびって何?」
私 ;「足りなくなったときのために用意しておくってこと。」
息子;「『の』が大きくなった…。」
私 ;「これは、カッパね。探検する時に雨が降ったら使うんだって。」
息子;「『か』って片仮名で書けるよ。」
私 ;「じゃあ、カッパは片仮名で書いてみて。」
こんなやりとりをしながら、準備を整えた。息子は自分が書いたということが誇らしいようで、満足そうに「こっちがお風呂の後の『したぎ』で、こっちは『よびのしたぎ』。」と、書いた文字を読みながら確認している。私が「『よびのしたぎ』はこっちだね。」と書かれた文字の大きさに合わせて声の大きさを変えて読むと、面白がって真似を始めた。声の大きさを変えて読むと、何となく節がついてきて、いつの間にか即興の歌になっていく。
「よ〜びの〜し・た・ぎ、はこっち〜♪」
書くことが楽しい今だから、自分でラベルを書けば持ち物を把握できるだろうと思っていたら、書くだけでなく、歌がおまけについてきて、息子の頭には「よびのしたぎ」がしっかりインプットされたよう。
お泊り保育から帰ってきて一言。
「『よびのしたぎ』使わなかったよ。」(林)
息子が文字を書き始めて約5か月。息子が文字を書くところを見ていると、2種類の書き方がある。一つは、お手本となる文字を見ながら書く方法。もう一つは、文字を思い出しながら書く方法。どちらも「再現」することがゴールであるけれど、その過程は異なる。このことは、絵を描く時も同じようだ。息子は、見ながら描くことも思い出しながら描くことも、どちらも楽しんでいる。
直接的であれ間接的であれ、再現したいという気持ちが「書(描)きたい」気持ちにつながっていく。
「似てる?」といって見せてくれた絵(左)。これはタオルに刺繍してあるキャラクター(右)を見ながらホワイトボードに描いたもの。
「これは何か、わかる?」と描いた絵を見て当てるゲームをした時の写真。
思い出しながら書き始めてみたものの(左)思ったように描けず、描き直し(中央)。これは飛行機。 次(右)は、幼稚園。
「お母さん、描いたよ。」これは見ながら描いたのか、思い出しながら描いたのか、不明。 描いた場所は机の上。「描いたらだめなところに描きたくなっちゃった。」だそう。(林)
ある店舗で七夕コーナーに設置された短冊を発見した息子。「短冊、書きたい!」
「『げ』はどう書くんだったっけ?」「『ま』は?」「『で』は?」
わからない文字を私に聞きながら(私が別の紙に書いた文字を見ながら)書いた短冊。
「かぞくがげんきにいつまでもいますま(よ)うに」
一枚を書きあげるのに結構な時間がかかった。かなり集中して書いたから満足かと思っていたら、「失敗したからもう一枚書く。」と言いだした。
たまたまこの日は時間に余裕があったので、気が済むまで付き合ってみることにした。すると二枚目では、一枚目に出てこなかった文字を聞いてくる。
「『ら』は?」「『せ』は?」「『る』は?」
そうして書いた二枚目の短冊。
「かぞくがげんきにいつまでもくらせるように」
私は字形を思ったように書けなかったことが失敗だと思っていたけれど、息子にとっては使う言葉が失敗だったようだ。
書いて、読んで、気付く。
書いて、見て、気付く。
そしてもう一度、書く。
こうした繰り返しが、文字や言葉を使うことを豊かにしていくのかもしれない。時間に追われる毎日だけど、息子が「もう一度」と言ったことにはできるだけ付き合っていきたいと思った出来事。
それにしても、こんな願い事をするなんて、いったいどこで覚えてくるんだろう?(林)
黒いボールペンでは印が目立たないのになぁと思いながら待っていた私。
「はい、これで僕がいつ出るかわかるよね。」
差し出されたプログラムを見て驚いた。
「すごくよくわかる!」
「全部で8個あったから、ここに『8』って書いておいたよ。」
確かに、≪開会式≫の左隣には「8」の文字。
黒丸と矢印と数字の組み合わせから、「僕が出る種目、一つも見逃さないでね。」という息子の思いがひしひしと伝わってきた。どの種目に出るかだけではなく、その順番も大切なことなのだろう。そして、全部で何種目に出るのかも。
記号の組み合わせだけでも思いを書き表すことができる。
そして、このことは、おそらく息子にとって初めての「書きながら思考を整理した」経験になるはず。(林)
今日は幼稚園で行事写真が展示される日。
いつものように写真注文用紙へ写真番号を書き込んでいると、「今日は僕が注文する。」と用紙と鉛筆を私から奪うように取っていった。
「写真を見つけたら言ってね。自分で書くから。」
どんな注文書になるか不安に思いつつも任せることにした。見ていると小さな枠になんとか収めつつ書いている。
番号を書き終えた後。
「名前も自分で書く。」
「いいけど、ハヤシって書けないでしょ。お母さんがそこだけ書いてあげるよ。」
「ううん、もう書ける。練習したから。」
正直、驚いた。いつも苗字は私が書いていたし、一緒に練習した場面もなかった。どこで練習したのか不思議に思いつつも、
「じゃ、お願いね。」
「ほら、書けたでしょ。」
書き慣れていないせいか、筆圧が弱く震えているような文字だったけれど、ちゃんと書けている。
ただ、写真屋さんに読んでもらえるか不安だったので、息子にわからないように欄外に私も息子の名前を書いて提出した。
「名前、これで大丈夫ですか?」
「お兄ちゃん、頑張って書いたんでしょう?大丈夫ですよ。」
写真屋さんの温かい言葉に感謝!(林)
息子のノートづくりは今も続いている。
■自分のノート■
表紙に「名前」「年齢」「好きな食べ物」が書かれたノート。これら項目のヒントは何か聞いてみたけれど、「自分で考えた」と言うばかり。きっと何かを参考にして作ったのだと思う。面白いのは、文字を書く方向が自由なこと。「年齢」は上に伸びていくし、「好きな食べ物」は左回りに回転しながら書かれている。スペースがないことに対する息子なりの策なのかな。
私にも父親にも「自分の好きなことを書いてね。」と、同じ形式のノートを作ってくれた。
ノートの中には、「妖怪ウォッチ」に出てくる必殺技の名前。息子と私で交互に知っている技を書いていくという遊びの一部。私は技の名前を知らないので、息子の言うままに書いた次第。
そして、テニスコート。息子は今、テニスに興味を持っている。テレビアニメ「ベイビーステップ」を見てテニスがやりたいと言い出した。テニス初心者の主人公は、ノートに自己分析・対戦相手の分析・打点などを記録しながら強くなっていく。その様子を真似て書いたものが写真の図。
■得点票■
これもテニス関連。家の中で風船テニスをしているとき、点数をノートに付けていたらひらめいた。 「これがあったら点数つけるの楽だよね?」
折り紙をホッチキスでとめて、得点を書き込んだもの。数が大きくなっていく毎に、数字の(文字の)大きさはだんだんと小さくなっていくのが特徴。
■テニスノート■
テニスへの興味は深まるばかり。とうとうテニスノートを作ってしまった。
表紙に大きく「てにす」の文字とテニスボールの絵。最初、「『テニス』と片仮名で書きたい。でもまだ書けないから書いて。」と私に言ってきた。「知っている字で書けばいいよ。自分のノートだから自分で書いた方がいいよ。」と言うと納得して平仮名で書いていた。
興味の深さからか、なんと全54ページ。16ページまでは自分でページ数をつけたけれど、力尽きてその後は私がページ数をつけた。
「テニスのことはこれに書いていったらいいね!」と満足気な様子。記念すべき1ページ目には、テニス体験教室に行ったときのことが書かれた。
テニスコートと、縦書きで「0(ゼロ)OK 1OK 2アウト」と書かれている。(「0OK」は下から上に向かって書かれている。)これはコーチに教えてもらったことで、相手コートから返ってきたボールは1バウンド以内に打ち返さなければならないということを表しているらしい。
■自由ノート ■
表紙に作った日付が大きく書かれたもの。日付の書き方は父親から教えてもらったと思われる。
ノートの数はどんどん増えている。思い立ったらすぐにノートを作っているという感じ。最後まで使い切ったノートはまだない。今は、思いついた時に、自分が欲しいノートを作ることが楽しいのだと思う。息子の欲していることやものが、表紙や1ページ目に表現されるのが面白い。
現時点でテニス教室に通ってはいないけれど、もし通い始めたら、テニスノートには何が書かれるのだろう。とても興味深い。(林)
最近、息子が夢中になっていること。それは、ノートづくり。
自由帳の白紙を一枚ずつバラバラにし、それらを改めてホッチキスやのりで綴じる。正直なところ、元からノートの形をしているのだから既製のまま使えばいいのでは?と思うが、違うらしい。息子にとっては「自分で作る」ことに意味があるようだ。
ある日、帰宅した私を出迎えた言葉。
「いいもの作ったんだよ。見たい? すごく役に立つものだよ。見たい?」
そう言って大事そうに見せてくれたものが手作り第1号のノート。この時はノートを本と呼んでいて、「僕の本を作った。」と言っていた。表紙に描かれていたのは好きなゲームのキャラクター・星のカービィとデデデ大王。それから自分の名前と巻数。中には何やら材料のような記述。
「ほら、線も書いたよ。」
確かに、罫線まで書いてある。
「この字はどうやって書いたの?」
「知っている字は見ないで書いたけど、他のは字が書ける紙を見て書いた。」
「ここに書いてあるのは何?」
「これから使うものを書いた。」(これらを使って何ができるのかは不明。)
ひと通りのやりとりが終わった後、何か思い立ったように、手作りノートとペンを持って外へ出て行った息子。
「外行ってくる。ついてこないでね。すぐ帰ってくるから。」
ほんの2〜3分で戻ってきた息子の本(ノート)には、ぐるぐる線でできた小さな固まりが描かれている。玄関の外にある石を描いてきたのだという。(何で、今のタイミングで石…? 5歳・男児の独特な世界はまだまだ広がる。)
この手作りノート第1号は、「写しとる」ことの意味を考えさせてくれている。
既製の本やノートを写しとって、ノートを作る。
五十音表の文字を写しとって、文字を書く。
好きな絵を写しとって、絵を描く。
石を写しとって、石を描く。
どれも同じ「写しとる」ことから始まる行為だけれど、その意味は異なる。通じる部分と異なる部分を私なりに解釈しながら、息子に伝えていきたい。
ただ、これらを表現する言葉が「写しとる」で良いのかは、悩み中。(林)
先月,五十音表を見ながら文字を書くことを知った息子。それから一ケ月、息子の書く活動は急激に増えている。
「何周まわったか、忘れないように書いておこうよ。」
これは、すごろくで遊んでいる時の発言。そう言いながら、自分で数字を書いていった。
「見ないで書いたよ。」
ある教育番組でお馴染みの“お父さんスイッチ”を作った時。スイッチに、自分の知っている文字を何も見ないで書いたことを嬉しそうに報告してくれた。
「ここにも書けるね。」
洗面台のくもっている鏡に、文字を書いて遊んだ。
「文字,書けば良かった。」
幼稚園で私の顔の絵を書いて、その絵を持って帰ってきた時。顔だけでなく、文字を書けば、お母さんの顔だとすぐわかるのにと話してくれた。
それじゃ書いてみようと促すと、すんなり書き始めた。けれど,「ん」が上手く書けない。
「書きたいように書けない。悔しい。」
4回ほど書いたが納得いかないらしく、この時は「お母さん,書いて。」と言ってきた。文字を書き始めて一週間のことだったのだけれど、すでに息子の中に書きたい文字の形がイメージされていることを知った。
「字が書けるあの紙,ちょうだい。」
平仮名五十音表のことをそう呼んでいる息子。「五十音表を見ながら書く」ということは息子にとって「五十音表を見れば、自分で文字が書ける」という楽しみになっているよう。五十音表を渡すと、「見ないでね!」と言いながら私に隠れて何やら書いている。
ここ一カ月、息子を見ていて驚いたのは、「書く」ことを知っただけで,教えなくても文字の機能を感覚的に察知していること。「書いておこうよ。」というのは「記録する」ことだし、「書けば良かった。」というのは「伝える」ことにつながる。
今、遊びを通して学んでいることをこれからどう習慣づけていくか。
丁寧に、繰り返し、楽しみながら、やっていこう。(林)
「お母さん,『フラックサンダー』食べてもいい?」
息子が指差したものを見ると、「ブラックサンダー」だった。
濁点を読み忘れているなと思いつつ、そのお菓子のパッケージを見ると、確かに「フラック」と読める。
だったら。
「フラックザンダーじゃない?」と言ってみた。
「7(なな)ラックザンダーかな?」
あら、そうきましたか。
本当の名前がブラックサンダーであることを説明して、息子もわかってはいるけれど、これ以来、我が家ではブラックサンダーを見ると「あ、フラックザンダーだ」「7(なな)ラックザンダーだ」といって楽しんでいる。
別の日。
最近、文字を書いて遊ぶことをおぼえた息子。妖怪ウォッチのキャラクター「ブシニャン」の名前を書きたいらしい。
「何回書いても「づシニャン」になるよ。」と泣きそうになっている。 「ここで一回、止まってごらん。」と折れの部分を教えて、何とか解決。
「フ」と「7(なな)」。「ブ」と「づ」。
ブラックサンダーもブシニャンも、息子が見ていたものはデザインされた書体だから、払いや折れの部分がわかりにくい。それは、似ている文字を探す楽しさにもつながるし、今、これから文字を書こうとしている子どもにとっては難しさにもつながる。
幼児にとっての手書き文字と活字について、考えるきっかけになった出来事。(林)
4月から年長さんになる息子。文字の読みはできるものの,書くことに関しては自分の名前を平仮名で書くだけで満足している様子。お友達の中にはお手紙を書いたりする子もいるけど,もしかしてうちの子は文字を「書くこと」への興味がうすいのかな?
まあ,息子が書く日をゆっくり待ってみよう。
そして,その日はやってきた。
父親の誕生日プレゼントに絵を書いた時のこと。絵を書き終わった後,しばらく余白を気にしていた。
「ここに『ありがとう』って書きたいけど・・・。」
「お母さん,いいもの持ってるよ。」と言って,平仮名五十音表を渡してみた。
「ここから書きたい字を探して,見ながら書いてみたら?」あまり期待せず,言ってみた。
「いいね!いい考えだね!」
息子は五十音表から文字を探し,一文字ずつ写しとっていった。
これまでは文字を書くというと,私に代筆させていたのに,今日はどうしたのだろう。
息子の気持ちの変化を予想すると,こんな感じかな。
「プレゼントを渡したい」+「自分の気持ちを伝えたい」=「書きたい」
伝えたい気持ちを書く。伝えたい気持ちが,書きたい気持ちにつながる。
息子の書きたい気持ちがこれからどんな風に広がっていくか,楽しみだ。(林)