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「手書き」に関するHPです。研究から随想、エピソードまで…。

手紙の風景

11歳の少年に届けられた漱石の「直筆」

2015年8月14日・金曜日  姫路文学館蔵


  その少年、松尾寛一君は、20歳で早逝。彼が宝物にしていた文豪からの手紙は、家族の申し出により姫路文学館
 (兵庫県)に保管されている。
  時に1914(大正3)年4月、折から朝日新聞に漱石の小説『こころ』が始まった直後に松尾少年から漱石のも
 とへ小説に登場する先生の名前を尋 ねる文書が届き、それに対する漱石の直筆の返事がこれである。
   

  2012年2月、神奈川近代文学館(横浜)で作家・出久根達郎さんの講演があった。「書く、ということ」の演
 題で、手書きの魅力、手紙のもたらす素晴らしさについて、多くのエピソードを交えて興味深い内容に会場は沸いた。   中でも、文豪・漱石の“無類の手紙人間”ぶり披露されたが、出久根さんの次の一言に会場は釘づけになった。
  「漱石は、もらった手紙には必ず返事を書いた。彼曰く『手紙を書いてくれている時間は、その人は、私だけのこ
 とに集中してくれている。有難いことではないか。ならば、私も返事を書くのが当たり前ではないか』と。」

  そして、この直後に、少年が文豪からもらった手紙が姫路文学館に所蔵されていることが知らされた。
  いつの日か、この直筆の筆跡を直に目にしたくて、この文学館を訪ねてみたいと思っていたが、ままならず、先般、
 ご担当の方にお願いして生々しい文豪の筆の跡、更にこれに纏わる出久根さんによる逸話などの資料をお届けいただ
 いた。
  手書きだからこそ伝わる文豪の優しさ、思いやり。一世紀前の文豪と少年のやりとりが、「手紙」という“人類が発
 明した最大の心の伝達の道具”を通じて今の世に鮮やかに再現されている。

  スマホを初めとするSNS全盛時代。天上の文豪は、首を傾げ、眉間に皺を寄せて、悲しい顔をしてはいないだろ
 うか・・・・・ (赤)

       ※夏目漱石の松尾寛一宛書簡(大正3年4月24日)は、姫路文学館に収蔵されています。
        本稿では、姫路文学館からの掲載許可を得て、「手帖 姫路文学館」第83号の写真を転載しています。


蔵王山にはまだ雪が降ります

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 昭和20年4月 斎藤茂吉、永井ふさ子への最後の手紙。


 茂吉は、昭和28年に72歳で死去する。
 茂吉十周忌に、「焼却」されなかった手紙(120通余り)は公表される。


      











小さな写真 出しては見て、為事をしています

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 昭和11年11月 斎藤茂吉、永井ふさ子への手紙。


 精神科医であり、大歌人である茂吉。その晩年の心境を垣間見ることができる。
 茂吉は、ふさ子への手紙には、必ず「焼却のこと」を書き添えていた。


      







芍薬(しゃくやく) へやが明るくなりました

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 90歳の元教師(女性)から、78歳の教え子への手紙。


 教え子が、自宅庭で育てている芍薬を、元教師宅に届けた。
 あいにく、元教師は留守であった。教え子は、元教師の家族に花を託した。


      

















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